
私に似合うもの
20代前半で、一目惚れして手に入れた山吹かがったイエローのアイシャドウ。
どうにもこうにも似合わなくて、何年もの間ただ眺めるだけになっていたその色を、初めて納得のいく形で使えたのは、30代も終わりに近づいた時でした。手に入れたメイクテクニックのおかげなのか、思い込みを手放したせいなのか、もしかしたら髪や肌が艶を失ったことがプラスに働いたのかも知れません。
「似合っている」とは、どういう状態をいうのでしょう。
辞書によれば、「一方が他方にふさわしい感じで、調和していること」。
なんとも、ふんわりとして掴みどころがありません。
判定に、見る人それぞれの主観が入ることを防ぐのは難しそうに見えます。
そうであるなら、他人のではなく自分の主観を優先して、「好き=似合う」でいいのでは?
「よりよく見える色や形」はきっとあるのでしょう。でも、NGはない。
似合うかどうかを決定づけるのは、雰囲気に他なりません。性格や感性、思考の癖や人としてこうありたいと望む姿までが入り混じった「その人らしさ」とでもいうべきもの。強く好きだと思えるものが、その人らしくあることを邪魔するわけがない。つまり「似合う/似合わない」を断じられるのは自分自身だけということ。
好きだからこそ「似合う私」になる努力ができる。好きを見つけてチャレンジして時には失敗もして。
そうして獲得した経験値は「似合う」の幅をどこまでも拡大してくれるはずです。
どうにもこうにも似合わなくて、何年もの間ただ眺めるだけになっていたその色を、初めて納得のいく形で使えたのは、30代も終わりに近づいた時でした。手に入れたメイクテクニックのおかげなのか、思い込みを手放したせいなのか、もしかしたら髪や肌が艶を失ったことがプラスに働いたのかも知れません。
「似合っている」とは、どういう状態をいうのでしょう。
辞書によれば、「一方が他方にふさわしい感じで、調和していること」。
なんとも、ふんわりとして掴みどころがありません。
判定に、見る人それぞれの主観が入ることを防ぐのは難しそうに見えます。
そうであるなら、他人のではなく自分の主観を優先して、「好き=似合う」でいいのでは?
「よりよく見える色や形」はきっとあるのでしょう。でも、NGはない。
似合うかどうかを決定づけるのは、雰囲気に他なりません。性格や感性、思考の癖や人としてこうありたいと望む姿までが入り混じった「その人らしさ」とでもいうべきもの。強く好きだと思えるものが、その人らしくあることを邪魔するわけがない。つまり「似合う/似合わない」を断じられるのは自分自身だけということ。
好きだからこそ「似合う私」になる努力ができる。好きを見つけてチャレンジして時には失敗もして。
そうして獲得した経験値は「似合う」の幅をどこまでも拡大してくれるはずです。