
ひとりたび
久しぶりの、ひとり旅をしました。
どこかに住む誰かに会いに行くとか、観たい展覧会を追いかけてとか。ひとつだけ理由を携えて、あとは気の向くまま──。若い頃は、よく、そんな旅へひとり出かけていました。旅先からさらに予定外の小トリップへ発展するのも珍しくなかった。ところが気づけば、ここのところ誰かと一緒の旅ばかり。わがままな気分屋ゆえに単独行動が性に合っているはずだったのに、知らず知らず角がとれてきていたのでしょうか。
誰かと一緒の旅では、その人とのコミュニケーションが主なイベントになります。日常とは違う空間で長い時間を共有することで、知っているはずの人を新たに発見する驚き、楽しみ、時には失望もあったり。ひとり旅では、その対象が自分になる。未知の何かと出会ったとき、私はどう見て何を感じるのか。自身と向き合うというのは、静かだけれどなかなかにハードな大仕事でもある。空の色、建物の陰影、空気の質。些細なディテールが濃く鮮明に刻まれているのは、断然ひとり旅の記憶です。
何をしてもしなくてもいい、ひとり旅。ふらりと入った店で次に寄るべき一軒を教えていただきはしご、なんて交流も、昔よりも気負わずできるようになっていました。
旅を語るとき「出る」という動詞を使いたくなるのは、境界を超えていく雰囲気が漂っているからなのでしょう。
どこかに住む誰かに会いに行くとか、観たい展覧会を追いかけてとか。ひとつだけ理由を携えて、あとは気の向くまま──。若い頃は、よく、そんな旅へひとり出かけていました。旅先からさらに予定外の小トリップへ発展するのも珍しくなかった。ところが気づけば、ここのところ誰かと一緒の旅ばかり。わがままな気分屋ゆえに単独行動が性に合っているはずだったのに、知らず知らず角がとれてきていたのでしょうか。
誰かと一緒の旅では、その人とのコミュニケーションが主なイベントになります。日常とは違う空間で長い時間を共有することで、知っているはずの人を新たに発見する驚き、楽しみ、時には失望もあったり。ひとり旅では、その対象が自分になる。未知の何かと出会ったとき、私はどう見て何を感じるのか。自身と向き合うというのは、静かだけれどなかなかにハードな大仕事でもある。空の色、建物の陰影、空気の質。些細なディテールが濃く鮮明に刻まれているのは、断然ひとり旅の記憶です。
何をしてもしなくてもいい、ひとり旅。ふらりと入った店で次に寄るべき一軒を教えていただきはしご、なんて交流も、昔よりも気負わずできるようになっていました。
旅を語るとき「出る」という動詞を使いたくなるのは、境界を超えていく雰囲気が漂っているからなのでしょう。