贈りもの
誰かへのプレゼントというのは、実は自分のためのアクションなのだと思う。
その人を「喜ばせたい」は100%こちら側の願いだし、見返りへの期待であったり、素敵なプレゼントを選ぶ人として承認されたい欲求だったり、贈り物にはその良し悪しに関わらず何かしらの「下心」が隠れているものじゃないだろうか。少なくとも私は、相手から大きな笑顔を引き出せたとき、ちょっと鼻が高くなる。
贈られる側になったときは「何をくれたか」なんて問題じゃなく、「何かをしてくれようとした事実」を何より嬉しく感じるのに、自分が能動主体になるとおかしな欲が出てしまうのはなぜだろう。人のために何かすることに、少し高めのハードルを設けてしまっているのかもしれない。
じゃあ、自分へプレゼントを贈るとしたら?
いちばんよく知っているはずの人を、最高の笑顔にできるのは、どんな贈りものですか?
「あなたのことを思っているよ」をしっかりと伝えられるのは、どんな方法ですか?
後回しにしがちな「わたし」に、とことん向き合う時間をもつ。
贈るわたしも贈られるわたしも、嬉しい。
自分自身とも、そんな関係を築けたらいいなと思う。
その人を「喜ばせたい」は100%こちら側の願いだし、見返りへの期待であったり、素敵なプレゼントを選ぶ人として承認されたい欲求だったり、贈り物にはその良し悪しに関わらず何かしらの「下心」が隠れているものじゃないだろうか。少なくとも私は、相手から大きな笑顔を引き出せたとき、ちょっと鼻が高くなる。
贈られる側になったときは「何をくれたか」なんて問題じゃなく、「何かをしてくれようとした事実」を何より嬉しく感じるのに、自分が能動主体になるとおかしな欲が出てしまうのはなぜだろう。人のために何かすることに、少し高めのハードルを設けてしまっているのかもしれない。
じゃあ、自分へプレゼントを贈るとしたら?
いちばんよく知っているはずの人を、最高の笑顔にできるのは、どんな贈りものですか?
「あなたのことを思っているよ」をしっかりと伝えられるのは、どんな方法ですか?
後回しにしがちな「わたし」に、とことん向き合う時間をもつ。
贈るわたしも贈られるわたしも、嬉しい。
自分自身とも、そんな関係を築けたらいいなと思う。